様々な揺らぐ心

若かりし頃は、色々な揺らぎを体験したように思います。

「揺らぎ」と言っても物理的なそれではなく、心の、ね。

みなさんはいかがでしょうか?


自分自身のことがわからない……

どうしたいのか、自分でわからない……

そんな台詞をよく耳にします。


もちろん、私もありました。

でも、今もゆらゆらすることはありますが、昔ほどではありません。


大昔は、ゆらゆら揺れるハートのシーソーゲームにぐったり疲れたり、

本当の自分がどっちに揺れているかを見極めきれずに失敗したり、

そんなことも多かったように思います。


週末は「超個人的な話をしよう!Vol.5」を地元福岡で行ないました。

テーマはセクシュアリティやパートナーシップのイベントです。


セクシュアリティや恋愛、結婚などにおいても、

この世にはたくさんの揺らぎがあるのだなぁと振り返っていました。


ご参加の方に限らず、友人知人、世間一般の話、

そこここに迷ったり選択を悔いたり……

揺らいだ挙句の甘い思い出、苦い思い出、

誰しもが経験があるようです。

もちろん、私も。


若かりし頃に経験した私の揺らぎは、

例えば……

結婚しなければいけないのか、とか、

子供を産まなければ一人前ではないのか、とか、

自分の性的指向は、とか、

目の前の人を本当に好きなのか、好きじゃないのか、とか、

この状況のこの人に別れようと切り出すのは

人として残酷で無責任なことなのか、とか、

仕事を辞めるのはイケナイことなのか、とか。


他にもたくさん揺れに揺れて、心のままに進めたときもあれば、

長い間、自分自身を裏切り続けたこともありました。


そのときに私を惑わせたのは、

ざっくり言うと欲求や衝動を無視した思考だったと思います。

細かく言うと、打算、世間体、「ねばならない」という不自然な制限。

傷つきたくないがゆえの、自分への嘘もあったかもしれません。


欲望や欲求はよくないものだ。

◯◯してはならない、△△しなければならない。

そんな戒めのような狭量な視野が、

「本当の私」を阻害して真実の道を踏み誤らせたのですね。


そして厄介なのは、表面的には、もしくは、世間的には、

そこに安泰や無難というメリットがあるということ。


もちろん、その選択肢もありです。


けれど、そのチョイスをすれば、

自分の心に嘘を吐き続けることになります。


選択の自由には、たしかに選択への責任も付随します。

でも、それが生きることだと私は思っています。

そして、苦しいことばかりではなく、

上回る喜びを得るチャンスがそこにあるかもしれないのです。


その人と一緒にいたい? いたくない?

私の欲望のベクトルは?

結婚に自由を見いだせない。したくない。

子供を産みたくない。

その仕事をしたい? したくない?

擬似的な恋愛を続けたいの?

若き日の私に、問いかけていたら、もっと楽だったかもと思います。

(選択に悔いはないけれど、長い遠回りをしました^^;)


答はその人の中にあり、本当はとてもシンプル。

ただ、そこにたどり着くときに、おそらく痛みがある。

だから、そこに蓋をしているかも。


イケナイと思っていること、

常識的で一般的だと感じていること、

それと自分の思いが合致しないことを「悪」だと思っていませんか?


それは、「悪」でもなんでもないのですよ。

そう言ってあげたい人がたくさんいます。


今日も、この世の何処かで誰かが抱えているであろう揺らぎ。

揺らぎに気づいているのなら、まだあなたの心は柔らかいのかもしれません。


そこをそっと押してあげてください。

いいんだよ、ハートで感じたままで、と話しかけながら。


欲望は罪だとした時代は、もう数百年も前に終わりました。

もう、誰もあなたを罰したりも、咎めたりもしません。


画像は、欲望の在り方の大切さを教えてくれる

「Devil's Play 悪魔の遊び」というカード。

ガチガチの固定観念、思考の偏り、反して、人生に力を与える欲望、欲求。

それらの見直しを促してくれます。


時代が破廉恥だと戒めたことでも、

今となってはそれが素直で美しいこともあるのです。

あなたが生きている時代は、いつですか?(*^^*)


********


現在募集中の講座やワークショップは以下のURLからご覧ください。

https://ameblo.jp/th-yuri/entry-12323529087.html


ご予約、お問い合わせはメールにて……

treasurehunter_yuri☆yahoo.co.jp 

(☆を@に変えてご利用ください)