翼を持つボーダレスな心

年末、大分県立美術館(通称:OPAM)にて開催中の、

イサム・ノグチのエキシビションを訪れた。


ごくごく一部の作品のみ、撮影が許されていたのだが、

もちろん、それは小さなものばかり。

そのときのfacebookにこんな所感を書いた。


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自分用メモ。

いろんなアートエキシビションに行くたびに

「アタシにも作れそう」

「アタシにも描けそう」

と、エラソーに言っては

周りから

「こらこら💦やめなさい💦」

と言われるのですが(笑)

イサム・ノグチには口が裂けても言えない。

天才✨

総合芸術家と言われるだけあると思った。

小さなものから巨大、広大なもの、

物質から空間まで

なんでも創造していて、

テクノロジーを見つめつつも

彼の創り出すものの中には、

必ず「自然」がある。

ちょっと心地良く打ちのめされた。

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生意気なことを(笑)


このときの思いはじわじわと

ボディブローのように効いてきて

歯痒さのような自分への怒りのような

そんな不甲斐なさを私の中に置き去りにしていった。


やりたいことをやっているか。

望むものに、諦めずに手を伸ばしているか。


やっているつもりだったし、

諦めてはいないつもりだった。


けれど、OPAMからの帰途で私は

自分の中の嘘を見つける。


イサム・ノグチという天才は、

アメリカ在住の学生時代、勉学上でも優秀で、

高校を首席で卒業という快挙に多くの人がその将来に期待をした。

けれど彼は若かりし頃より明確だった。

「大統領になるよりも、僕は、真実こそを追求する」

真実。アーティストになること。アートすること。

それが彼の一貫したビジョンだった。


彼は、それを一生を通してやりつづけた。世界中で。

それがやりたいことだったからなのだろう。


彼の造形の底にあるのは、

自由な心だと思う。

物理的にも海を越え、あの国へこの国へ、そして最後はこの日本へ、

街中に自然あふれる郊外に、居を構えたり作品を作ったり。

彼は自由に動いた。


でもそれ以上に自由だったのは、

彼をあちこちへといざなった彼自身の心だったのだ。

どこにいてもそれは関係なく、

彼はきっとニューヨークにいても日本を思ったり、

鎌倉にいてもアメリカを思ったり、

それもただのあこがれやぼんやりとしたものではなく

具体的で実際的なビジョンだったのだろうと思う。

ざっくり言ってしまえば、最終的には彼はどこにいようと

そこにでもどこにでもいられたのではないか。

そして、なんでもやった。魂が望むことは。

彼の心には、距離や可能性を超えた翼があったのだろうなぁと思う。


そして、本当は、その翼は誰の心にもあるはずなのだ。

もちろん、私の心にも。


私が仕事で使っているボイジャータロットの中に、

Loversというカードがある。

代表的なシンボルはブランクーシというアーティストが作った

「接吻」という作品。 ※別の名前で似たような作品が色々とあります。

イサム・ノグチは7年間、ブランクーシのアシスタントを務めている。

それを思い出し、このエキシビション内を進みながら、

私は私と抱き合えているだろうかとふと思った。

人間にとって一番大切な人間関係は、自分と自分自身とのそれだ。


そして、エキシビションの終盤に、

今年、見に行ってみたいと思っているイサム・ノグチの遺作の1つのタイトルが

「TIME AND SPACE」であることを知って、再び心がざわついた。



ボイジャータロットにも「Time-Space」というカードがあり

その意味合いの一つが大局的な方向転換だった。

次のサイクルへの指針を見つけるとき。


このカードには、幾度となく、人生の軌道修正を支えてもらった。

「ああ、まただ」

そう思った。


この世はメッセージであふれている。


私の心の翼は、私をどこまで連れて行ってくれるだろうか。

どこがボーダーなのだろう。

そもそもそれはあるのか。


飛ぶ。

なあなあになって諦めつつあったことや、

やり残していることに向かって。

空を飛ぶ生き物たちにとって、空はボーダレスだ。

空を狭くしているのは、

そのほうが都合の良い人間たちなのだ。


ボーダレスに生きる。

トライする価値はある。


小さなものから大きなものまで、世界中にクリエイトした稀代の天才、

総合芸術家イサム・ノグチからのインスパイアは

本物のアーティストだからこそのものだと思う。

昨年の締めくくりにふさわしいギフトを、

私は彼から受け取ったと感じている。